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ねじ学びのコーナー
 

vol-5

2001/10/08
著者:(株式会社ヤマシナ)
 

 

この頃には、西洋では木製のねじ切り旋盤を使用しており、試行錯誤の連続であったと思われますが、イギリス人のヘンリー・モズレーが、1830年ころに金属製のシャーシで出来たねじ切り用の旋盤を開発します。 今までの、木製のシャーシで生産した物と比較すると精度も高く、同じねじが大量に作れるようになりました。切削でねじ山を削っていく方法です。
図 1

この機械の開発で、それまでは日本と同じように、ねじとナットは刻印した物同志しか使用できませんでしたが、ねじとナットの互換性が満足できるように成りました。

1770年代にイギリスに産業革命が興り、鋼板を締結する、ねじとナットは 驚異的な需要になっていきます。
モズレーの弟子のジョセフ・ウィットウォースは、多くのメーカーが客先から発注される、勝手気ままなピッチ、山形、外径などで作っていたねじを調査し、1841年に「ウィット・ウォースねじ」として標準化します。この標準化により、何処のメーカーのねじも同じ規格となって、イギリスの機械の輸出に大きく貢献します。
「ウィット・ウォースねじ」は後にイギリスの規格(BS規格)として正式に採用されます。
いわゆる、互換性がないねじでした。
このねじの、ねじ山の角度は55°で切削で作るねじですから、頭形状は六角(四角)等でドライバーが入る溝(リセス)はスリ割り(マイナス溝)加工されていたようです。
その後、各国で独自の規格が採用されます。(全てのねじの山角度は60°です。

アメリカは「アメリカ規格」、フランスなどは「SI規格」、アメリカ、イギリス、カナダの三国で軍需用に「ユニファイねじ」が規格化されます。各国で独自な規格が制定されたため、ISO(国際標準化機構)が全世界共通の現在の「ISOメートルねじ」を採用するに至ります。

日本では1949年6月1日に工業標準化法が交付され、JIS(日本工業規格)が制定されます。この日に因んで、1975年から6月1日を「ねじの日」としています。

モズレーが開発したねじ切り旋盤は、ウイット・ウォースが改良を加え各地で生産され1857年に日本にも納入されています。 徳川幕府もこの機械を導入し(図、1)、ねじ、ナットの生産を開始しています。
軍需用の目的に導入されていました。明治維新後もこの機械は軍工廠に移り活躍したそうです。
1850年代に成ると ヨーロッパで冷間鍛造機が開発されます。

当時、1/2インチ径のボルト二本の価格は、職人の日給の半分くらいだったそうです。
現在なら一本¥5000以上するのでしょうか?