銃身の端末側に使われています。
銃身は、 八角形で、ねじ形式に成っているのは、尾栓のねじを外して、
火薬 や弾の残留物を取り出したり、望遠鏡の様に銃口を覗いて影のある所を叩いて銃身の曲がりを矯正するためです。
金兵衛にとって、「ねじを作る」 事はそれほど問題にに成らなかったようです。
「ねじの作り方」としては、道具も揃っていないので、リベット状の軸に蔓、糸などをコイル状に巻き付けて、この螺旋に沿ってヤスリなどで加工したと考えられます。
現存する尾栓のねじは、ねじの山角が120°くらいのねじです。
問題は銃口側の雌ねじです。 ポルトガル人の持ってきた銃は、時代から考えて西洋ではハンドタップで加工されたようですが日本にはありませんでした。
想像される作り方は、銃身を加熱しておいて、尾栓のねじを銃口へ挿入し、ハンマーなどで叩いて成形したと思われます。ただし、ねじは手作り(ハンドメード)ですし、このねじをマスターにして雌ねじを成形しているので、ねじと銃身に刻印を打っておかないとピッタリ合いませんでした。
いわゆる、互換性がないねじでした。
その後、1551年にキリスト教布教のため来日したポルトガル人の宣教師フランシスコ・ザビエルが周防(今の山口県)の領袖 大内義隆に機械時計を送りました。
機械式時計は各地の殿様への贈り物になって行きましたが、今の「蝶ねじ」にそっくりなねじが使われていました。
当然 修理も必要ですが、ヤスリでの手仕事だった様です。
火縄銃には刀鍛冶が培った強度が、時計には精密な細工師の器用さが要求された様です。 |